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「行かなくていいよ」という対応が動かすもの

2018年10月13日に開催された登進研バックアップセミナー103の第1部の内容をまとめた抄録です。

講 師 海野 千細(八王子市教育委員会教育支援課心理相談員)
聞き手 齊藤真沙美(東京女子体育大学・東京女子体育短期大学講師)

※講師の肩書きはセミナー開催時のものです。

テーマ①
子どもが不登校になったとき、一般的にその家庭ではどんなことが起こるか

斎藤  では、最初のテーマ「子どもが不登校になったとき、一般的にその家庭ではどんなことが起こるか」について、海野先生にお話をしていただきます。
海野  子どもが不登校になったとき、家庭でどんなことが起こるかは、お子さんの年齢によっても変わってきます。ですから、今日お話しする内容は「ああ、うちもそうだわ!」という場合もあれば、「いや、うちはちょっと違うかな」という場合もあるかと思いますが、あくまで「一般的には」ということで、その点をご承知おきいただければと思います。

 まず、子どもが学校を休み出したとき、最初から「僕、学校に行きたくない」と言って休みはじめる子はほとんどいません。たいていは体の症状を訴えて休むというかたちを取ることが多いです。たとえば、頭が痛い、熱がある、おなかが痛い、吐き気がする…と言って、だから「今日は学校を休む」という、入口はだいたいそんな感じです。

 子どもは、親に「学校を休みたい」とはなかなか言えません。「休みたい」というのは子どもにとってすごく言いにくいことなんです。だから子どもは、親が受けとめやすいような切符を出してきます。その切符が体の症状なんです。「体の具合が悪い」と言えば、お母さんも「じゃ、今日は休めば」となりますよね。そういうかたちで「休みたい」と言ってくるわけです。

心の状態が体にあらわれる

海野  そういうことが最初は週1日だったのが、週2日になり、3日続けて休む…というようになってくると、親御さんのほうも「どうしたんだろう」と気になってきます。そこでだいたいは内科とか小児科の病院に連れて行くわけですが、病院では「どこも悪いところはありません」とか「軽い風邪かもしれませんね」みたいなことを言われます。そうなると、体はなんともないんだから学校に行きなさい、という話になります。

 そのあたりの時期には、だいたい朝はものすごく頭が痛いとか気分が悪いとか言うんですが、お昼くらいになると落ち着いてきて元気になる場合が多いんです。親からすれば、登校する出がけのときだけ具合が悪くなるように思えて、「あんた、仮病なんじゃないの?」みたいな感じになることもあります。でも、仮病ではないんですね。

 心と体はリンクしているところがあって、これを「心身相関」といいますが、たとえば悩み事があると食欲が落ちたり、胃が痛くなったりしますよね。みなさんもそういう経験があるのではないでしょうか。だから、頭が痛いのは本当に痛いんです。熱も測ってみると、確かに37度2分とかあるわけです。これは非常に微妙でして、38度を超える子はあまりいなくて、たいていは37度前半くらいです。

ご夫婦の関係が悪化することも

海野  このような時期を経て、どうやら体の問題ではないようだ、ということになると、親としては「じゃあ、なんで休んでいるんだ?」という話になると思います。休むからには何か理由があるはずだ。学校で何か嫌なことでもあったのだろうか、と。
 ところが、子どもは自分が苦しいとか、学校に行けないとか、行けない理由とかを、親にはなかなか言えません。本人も理由がよくわからなかったり、理由があってもそんなにたいしたことではない場合もあります。

 たとえば、授業中に隣の席の子がちょっかいを出してきて、やめろと言ってもやめなくて、逆に自分が先生に怒られてすごく嫌な思いをしたとか、そういうことがあったのかもしれない。でも、それをたとえば小学校低学年の子が親にうまく説明するのは難しいし、面倒くさいし、わかってもらえないだろうし、「そんなことで休んでるの?」と言われそうだし…。ということで、子どもは、お母さんに理由を聞かれると黙ってしまう。問いつめられると石のように固まってしまって、無言で涙だけぽろぽろ流す子もいます。

 そうなると、「なんだかよくわからないけど学校には行かない、行けない」という状況のなかで、今度はご両親の間にトラブルが起こる場合があります。
 お子さんが中学生くらいだと、お父さんはだいたい40代の方が多いかと思いますが、まさに働き盛り、朝早くから深夜まで仕事仕事で、お子さんのことはよくわからない。一方、お母さんは子育ての問題を一人で抱えて悩んでいるのだけれど、その悩みをお父さんになかなか伝えられない。そういう状況のなかで子どもが不登校になると、ご両親の間でけっこう熾烈な闘いが起こることがあります。

 よくあるのが、お父さんがお母さんを責めるというパターンで、「子どものことはお前に任せると言っただろう!」「お前の育て方が悪かったんじゃないのか」「甘やかすからダメなんだ」等々。そうなるとお母さんも負けてはいません。「あなた、今まで一度でも親らしいことをやってくれたことあるの!?」という流れになって大ゲンカが始まり、それを子どもが自分の部屋でじーっと聞いている、といったことがままあります。このような当初の混乱や葛藤を経て、お母さんとお父さんが協力して子どものために何かしていこうという体制をとれるようになるまでにはけっこう時間がかかります。

原因探しは解決にはつながりにくい

海野  私たちは、何か問題が起こると、どうしてこの問題が起きたのだろうと考えますよね。そういう考え方を「因果律」といいます。つまり、物事を「原因」と「結果」でとらえる考え方です。私たち現代人は、この因果律でものを考えるようになっています。小さい頃から学校でそう教わってきましたから。だから、子どもが不登校になったときも、「原因を知りたい」「原因がわかれば対策がとれる」と思いがちです。そして、いじめがあるんじゃないか、勉強が大変なのか等々、いろいろと原因を探っていくわけですが、結論からいうと、結局、原因はよくわからないんです。

 子どもが、「○○ちゃんがぶった」とか「○○くんに悪口を言われた」と言ったとしても、それは多くの場合、きっかけにしか過ぎません。そのきっかけになった問題が解決したとしても、やっぱり学校には行けないという状態になることが非常に多いです。このへんの原因のとらえ方について、齊藤先生のほうからも、少しお話しいただきたいと思います。
齊藤  まず、お手元にある『参考資料』に「なぜ理由を言わないのか?」というテーマが取り上げられているのでご紹介したいと思います。これは過去にこのセミナーで行われた今村泰洋先生と小林正幸先生の講演から抜粋したもので、とても参考になると思います。小林先生は、実は私の学生時代の指導教官で、先生が原因探しについてよく例に出される「火事の話」もここに載っています。非常にわかりやすい例なので、ここではこの火事の話をもとにお話をしたいと思います。

 まず、火事が起こって、今、目の前で家が燃えているという状況を思い浮かべてください。タバコの火の不始末が原因ということで、消防士が燃え盛る火のなかに飛び込んでタバコの吸い殻を探し出し、それを撤去しました。しかし、火は治まりません。それどころかどんどん燃え広がっていきます。今やるべきことは原因探しではなく、まず消火することです。

 これは不登校にもいえることで、その原因らしき出来事が起こったときと、不登校が続いている今とではだいぶ状況が違っていますし、また別の問題が発生しているので、まずは今、目の前で不登校が続いている、火が燃え盛っているという状況に対応していかないと、なかなか適切な支援にはつながりません。

 じゃあ、原因やきっかけを探すことは無駄かというとそうではなくて、どこかの時点でそれが把握できれば、予防にはつながります。原因がわかれば、次に火事が起こらないようにスプリンクラーを付けたり、家を耐火構造にするなど、初期の段階で火を治めるための予防策がとれますから。
 つまり、原因を探すことと、現在、不登校が起きている、続いている状況に対応することは別であると考えていだだければいいかなと思います。

子どもはみな「見捨てられ不安」をもっている

齊藤  とはいえ、親御さんとしては、どうしても原因探しをしたくなります。そのとき、原因を探すための質問を子どもにすることは、子どもにとってどうなんでしょうか。
海野  親御さんが、お子さんに質問したくなる気持ち、あいまいにしたくない気持ち、理由をはっきり言葉で言ってほしい気持ちはよくわかります。だから、いろいろ聞いてしまうわけですが、どうしても相手の口が重い状態が続きますから、聞くほうはだんだんボルテージが上がって詰問口調になったり、思うように答えてくれないと、なじる、責める、怒る、「なぜはっきり言わないの!?」ということになりがちです。もともと話せない、話したくないと思っている子に話を聞くわけですから、親御さんが激昂してしまうと、ますます貝の殻が固く閉じてしまいます。

 それと、無理やり言わせようとすると、子どものほうもなんとか答えをひねり出そうとして、その場しのぎのことを言ったりしますから、出てきた答えはあまり本質的ではないことが多いんです。そして、親御さんがそれに引きずられて振り回されるようなことが起きたりします。「○○くんがいつも僕にいじわるする」という言葉を真に受けて、いきなり相手の家に押しかけ、親御さんに抗議しておおごとになってしまい、その子はますます学校に行きにくくなる、という展開になることもあります。

 ですから、とりあえずまあ聞くだけ聞いてみて、やっぱりまだ話せないんだなと感じるようだったら、「話せるようになったら教えてね」というように、ちょっと引いてあげるような配慮が必要になると思います。

 子どもが親に対してどんな思いをもっているかということで言えば、この間までNHKで『透明なゆりかご』という連続ドラマをやっていて、沖田×華(おきたばっか)という女性漫画家が自分の体験をもとに描いたコミックが原作なんですが、主人公の女性は看護学校に通いながらアルバイトで産婦人科の見習いをしていて、そこにこれまでの生い立ちを重ねるようにして描かれています。

 沖田×華さんは発達障害があって、相手の気持ちがよくわからないという苦しさをずっと抱えていて、自分の母親ともうまくいかなかったんですね。ドラマのなかでも「私はお母さんに嫌われたくなかった」というつぶやきが出てきます。

 この主人公の気持ちは、子どもたち全般に共通する気持ちではないかと思います。子どもはみな「見捨てられ不安」というものをもっています。その不安は、成長するにしたがって相対的に小さくなりますから、私たち大人はそれほど不安にならずに生活できているわけですが、小さい子ほど、お母さんが怒ったら「自分は捨てられちゃうんじゃないか」「私を嫌いになったらどうしよう」という不安をより強くもっています。

子どもと一緒に考えていく気持ちで

海野  だから、子どもは親が悲しむこと、怒ることはできるだけ言わないようにしています。意識してそうしているというよりは、その思いは空気のようにいつも子どもを取り巻いていて、その空気を吸って大きくなっていくような感じです。

 そういう意味で、子どもがお母さんお父さんに言うことは、子どものフィルターを通して出てきた言葉、つまり、「これなら言っても大丈夫だろう」という言葉を選んで言っていると思ったほうが実はいいくらいです。同様に、その子が学校に行けなくなってしまうようないろいろな出来事、つらい体験、不安な体験なども、その子のフィルターを通して表に出ないようになっていますから、親御さんからは見えにくい、気づきにくい。ところが、そういう体験が積もり積もって、ある時点でガクッと行けなくなる。親御さんは、そのとき初めて、「どうしたんだろう」「何があったんだろう」「うちの子に限って…」という展開になることが多いと思います。
齊藤  原因を知りたいと思う気持ちは当然のことですから、そう思ってはいけないとか、ひと言も聞いてはいけないとか、そういうことではありませんが、わかっても解決にはなかなかつながらないし、子ども自身が言えないと思っていることもあるし、ということで、そういう思いをもちながら、子どもの様子をみて対応していくという感じでしょうか。
海野  そうですね。それと、出てきた内容によっては、担任の先生に相談したほうがいい場合も当然ありますから、何も聞くなということではなく、聞いたあとの子どもの様子とかやりとりのなかで、子どもと一緒に対応を考えていこうといった心持ちでやりとりができたらいいのかなという気がします。

テーマ②
行ってほしいと思いながらも、行けない状態を受け入れざるをえないとき、
親はどんな心理状態になるのか

齊藤  では、2つめのテーマ「行ってほしいと思いながらも、行けない状態を受け入れざるをえないとき、親はどんな心理状態になるのか」に移りたいと思います。
 親御さんとしては行ってほしいと思っていても、毎日、朝になると微熱が出るとか、おなかが痛いと言ってトイレから出てこないとかで行けない状態が続くと、もうこの状態を受け入れざるをえないのかな、という感じになりますよね。そのときの親御さんの心境、心理状態というのはどのようなものなのでしょうか。

大事な「消極的受容」の時期

海野  行きなさいといくら働きかけてもガンとして行こうとしない、朝ぜんぜん起きてこないということが、当初はほとんどだと思います。中学生くらいで体格のいい子は、お父さんが怒ったりすると力ずくで対抗してくることもあります。お母さんがさんざん言ってもダメで、どうしようもなくなってお父さんに「あなたも何か言ってよ!」となる場合はよくありますが、そのときに親子で殴り合い、取っ組み合いのケンカになって、下手するとお父さんがやられちゃうということも起こります。

 そうなると、「もう何を言っても、この子は行かないや」と、半ばあきらめたような状態になるんじゃないでしょうか。とりわけ専業主婦のお母さんだったりすると、ほんとに精根尽き果ててしまう場合もあります。子どもは相変わらず、好きなときに寝て、好きなときに起きて、着替えはしない、親の用意したものは食べないで適当に冷蔵庫をあさって食べている…。まあ、今は冷凍食品やレトルト食品もいろいろありますから、ほうっておいてもそれなりに生活は成り立つわけです。

 そこでお母さんやお父さんが、子どもとある程度、距離をとってつきあわざるをえなくなってきた状態、私はそれを「消極的受容」と呼んでいます。決して「積極的」ではないんです。しぶしぶなんですが、子どもの状態を受け入れざるをえないという意味で「消極的受容」という言い方をしています。たとえば、冷蔵庫には一応食材を入れておく、お母さんの料理を食べる子なら、作ってラップをかけて食べたいときに食べなさい、みたいな。それと、洗濯はしてあげる。それくらいで、あとは少し距離を置くしかないかな、というような感じ。

 実は私は、これが大事な時期なのではないかと思っています。親と子のコミュニケーションの在り方や距離感をあらためて調整するための時期として大事なんじゃないか。
齊藤  今、海野先生から「消極的受容」というお話がありました。なんとか学校に行かせようといろいろ働きかけて、もう何をやってもダメだ、となったときに、いわば親御さんが折れるような感じで、行かない状態を受け入れざるをえなくなる。それでいいのだろうか、という思いもあると思いますが、海野先生のお話では、「消極的受容」というのは、むしろその先に進んでいくためには必要な過程である、ということでしょうか。
海野  今、齊藤先生がおっしゃった「必要な過程」というとらえ方がすごく大事だと思います。親子でもめないようにすることが大事なのではなく、一度はあれこれもめて、でも、やっぱりどうしようもないんだ、というのを親御さんが実感として味わって、そのなかで最低限やれることだけやろうというふうに自分の気持ちに折り合いをつけていくプロセスが、実はとても大事なんです。

テーマ③
行ってほしいという思いの背後には、
親の世間体や“常識”もあるかと思うが、
人が世間体や常識にとらわれがちなことについてどう思うか

齊藤  そのような過程を経るなかで、親御さん自身もいろいろな思いが錯綜して、そんなに簡単に折り合いがつくわけではないと思います。そこで、次に「行ってほしいという思いの背後には、親の世間体や“常識”もあるかと思うが、人が世間体や常識にとらわれがちなことについてどう思うか」というテーマに進みたいと思います。

 「消極的受容」をせざるをえない状況のなかで、それでも「学校に行ってほしい」という気持ちは消えるものではないのではないでしょうか。そして、その「行ってほしい」という思いの背後にが、親御さん自身の世間体や“常識”というものもあるのではないかと思うのですが、海野先生、そのあたりはいかがでしょうか。
海野  それは当然だと思います。今、日本の小中学校では95%以上の子どもたちが学校に行っているという状況ですから、学校に行けないということは、一般的な感覚として「とんでもないことだ」と思うほうが普通ではないでしょうか。日本は、それでなくても、いわゆる「同調圧力」、つまり、みんなと同じであることを周囲から求められる雰囲気が非常に強い文化ですから、ほかの子はみんなちゃんと学校に行っているのに、うちの子だけ行けないという状況になれば、お母さんお父さんはとにかくなんとかしなきゃ、と思うのが普通だと思います。

学校側の「休むときは必ず連絡してください」というプレッシャー

齊藤  お子さんが学校に行けてなくても、親御さんのほうは学校と連絡をとらなければいけなかったり、担任の先生と話をしなければならない場合もありますから、そのなかで親御さんがいろいろ感じることもあるのでしょうね。
海野  「休む日には必ず連絡をください」と学校から言われている方は、ちょっと手を挙げていただけますか? ……ああ、3割くらいいらっしゃいますね。

 小中学校の場合、「休むなら必ず連絡してください」と言われるのが普通だと思います。そうなると、不登校の子はたいてい朝は寝ていますから、その子に「今日、行くか行かないか」を確かめなければいけない。そして、真面目できちんとしたお母さんほど、寝ている子をわざわざ起こして「あなた、今日は行くの? 行かないの?」とやるわけです。ところが、それにちゃんと答える子どもはほとんどいなくて、たいがい「うるせー!」とか布団を頭からかぶって口をきかないという態度になります。だから、お母さんは学校に連絡をするために毎朝子どもとトラブルをくり返すという、親子関係がどんどん悪くなるような展開になりやすいのです。

 私は学校の先生方の研修のときに、「その子が今すぐ登校できる状態ではないという認識が親御さんと共有できているなら、『行けるようになったときに電話してください』というふうにしてみたらどうですか」とよく話をします。すると親御さんはものすごくホッとします。だって毎日子どもとバトルをやって、まともに返事もしない子のために「やっぱり今日も行けません」と連絡するわけですから。

 そもそも朝、学校に電話を入れるのはすごく気が重いですよね。誰が出るかわからないし、学校ではどう思われているんだろうと疑心暗鬼になるし、「担任の○○先生をお願いします」と言うと、「まだお見えになっていません」なんて言われたりして深〜いため息をつく、みたいな。そういうことを毎日くり返しているから、嫌になってしまうんですよね。このように学校との関係が、結果的に親子の関係を悪化させることになる場合もあります。

不登校によって失われるものは何か

齊藤  学校にもやはり学校の“常識”というものがあるので、親御さんがそういう学校側の“常識”に合わせなければいけないとなったときに、それに合わせようとするあまり子どもとの関係に悪影響が出ることもあるということですよね。

 今、お話しいただいたいろいろな“常識”や世間体という面と、もうひとつ、不登校になることで、わが子が何かを失ってしまうのではないか、取り返しのつかない事態になってしまうのではないかという不安感が親御さんのなかで大きいのではないかと思いますが、そのあたりはいかがでしょう。
海野  親御さんが学校に行けないわが子をなんとかしなければと思う、その不安の源として、このまま休んでいたら進級はどうなるのか、卒業できるのか、成績が落ちてしまうんじゃないか、友だち関係も失われて、この子は人とつきあえなくなるんじゃないか、学歴はどうなるんだろう、将来は?……というように、いろいろな不安がふくらむと思います。

 結論からいうと、「今ある状態」は確かにほとんど失われるでしょう。現在の出席日数はその後ゼロになっていくし、勉強していないから成績もどんどん下がっていくし、友だち関係も「今の友だち」はいなくなってしまうかもしれない。進路についても、○○高校に進学するとか、そのあとは○○大学に行くとか、今まで考えていたことは失われる可能性が高いと思います。

 ただ、このセミナーでは体験者のお話を聞く機会をよく設けているのですが、そういうお話を聞くと、不登校だったときに味わったいろいろな出来事がプラスに変わっていくことが実際にあるんです。そうすると、新しい人間関係、新しい学習、新しい進路が開けてくるということを目の当たりにすることができます。

 ですから、今あるものは確かに取り戻すことはできないかもしれない。でも、逆にいろいろなものを新たに獲得していくことができる、という言い方ができるかなと思います。

それぞれの家族にそれぞれの乗り越え方がある

齊藤  私たちは、どうしても今あるものが失われてしまうというところに目が行きがちですが、そういう意味では、先々のことはそこに行ってみないと、そこでどんなものを得ているかはわからないわけで、今後、たくさんのものを新たに獲得できる可能性が十分に開けているということですね。
海野  そうです。もちろん可能性は開けているんですが、そこがなかなか難しくて、みなさんは、もちろん私もですが、今から何年か先のわが子の様子は想定できないですよね。私が相談を受けていても、「お子さんは10年後にはこうなっていますよ」なんて言えません。ですから、どこまでそういう未来を信じられるかは、それぞれのご家庭で引き受けていくことになります。ただ、一般的にいうと、ダメージが少ないかたちで済むと、今まで以上に自分らしさを活かした生き方につながっていくということは確実に言えると思います。

 もちろんダメージが少ないでは済まないご家庭もあるでしょうけど、先ほどお話しした「必要な過程である」ということを踏まえて言えば、ダメージが大きければ大きいなりに得るものも大きいことを、私は相談のなかで体験しています。ですから、それぞれのご家庭の親子関係のなかでいろいろな乗り越え方が出てくると思いますが、それは何が正しいとか、こうしなければならないというよりも、それぞれのそれなりの乗り越え方があるとお考えになったらどうかなと思います。
齊藤  今あるものは失われるかもしれないけれど、不登校によって決定的に取り返しのつかなくなるものはないし、今後、新たにいろいろなものを獲得することができる。そう考えると、「多少、学校に行かなくてもいいんじゃないかな」と思える心の余裕が出てくるかもしれませんね。

テーマ④
行ってほしいという気持ちを抱えながら、
行けないわが子を受け入れるにはどうしたらよいか

齊藤  では、4つめのテーマ「行ってほしいという気持ちを抱えながら、行けないわが子を受け入れるにはどうしたらよいか」に進みたいと思います。
 いつもどこかに「行ってほしい」という思いを抱えながら、でも、どうにもならないから「消極的受容」という状態になり、日々わが子と向き合っている親御さんの状況はかなりしんどいものがあると思いますが、そのあたりはいかがですか。
海野  代々木に「花クリニック」という精神科のクリニックがあるんですが、そこの矢花芙美子さんというお医者さんがこんなことを言っていました。「親が学校に行かなくていいと思っていたら、子どもは学校に行きませんよ」と。だから、逆にいえば、親が学校に行ってほしいと思っているから、子どもは学校に行っているという部分もあるわけです。これは一面の真理ではないでしょうか。

 ですから、「学校に行ってほしい」と思うこと自体は、お母さんお父さんの正直な気持ちですから全然かまわないし、そう思ったらいけないわけではありません。けれど、それで子どもにプレッシャーをかけていくことが、子どもを苦しめることになる。そう考えていただけたらいいかなと思います。

自信のある親ほど、子どもを傷つける可能性が高い

海野  「行ってほしい」とか「行かなくてもしようがないか」とか「しばらくは行かなくてもいいかな」とか、お母さんお父さんは気持ちがいろいろ揺れますよね。あるいは迷ったり、ときには抑えていた思いが爆発してガーッと言ってしまったり、それで自己嫌悪に陥ったり、また「しょうがないか」というところで落ち着いたり…。そういうことをくり返しながら子どもと向き合っていくわけですが、そのなかで、迷ったり、どう接したらいいか自信がないという状態になったら、そういうときほど、「自分は子どもに無理なことを要求していないんだ」と思ったほうがいいです。

 どういうことかと言うと、自分に迷いや戸惑いがあると、実はそれが子どもの状態を見る余裕につながるからです。逆に「こうでなきゃダメなんだっ!!!」というように自信があるときほど、子どもを傷つけてしまう可能性が高い。自信のある親に育てられた子どもは、ほんとに傷だらけになっていたりします。

親が悩んだり迷ったりすることが大事

海野  ですから、これまで自信のあったお母さんお父さんが「どうしたらいいんだろう」と迷いながら子どもに接しているという状態は、子どもにとってはとても楽になった、ホッとしたという場合があるんですね。

 とくにお父さんが、これまで仕事で身につけてきた知識や経験から「こうあらねばならん!」というかたちで強気の対応をしてきたときのほうが、子どもは何も親に言えず、ただ言われたことをそのまま受けとめて、それに潰されていくというような体験をしていたかもしれません。一方、親が迷ってくれたり揺れてくれていると、子どものほうは自分がほんとに言いたいことや言えずにいたことを少し伝えられるようになったりします。

 ですから、お母さんお父さんが悩んだり迷ったりしてくれていることこそ、子どもにはとても大事な体験になっていると思います。
齊藤  そうすると、今日のテーマにもつながってくることですが、「行かなくていいよ」と100%思えなくてもいいし、親御さんが不安や悩みや揺れ動く気持ちをもちつづけてもいいということですよね。
海野  それと、親御さんが「自分が今そういう状態である」ということに気づくことがすごく大事だと思います。悩んだり不安だったり気持ちが揺れたりすると、苦しくなってきますよね。そうすると、不登校関係の本を読んだり、相談機関に行ったり、こういうセミナーに行ったりします。そして、自信がないときほど、いろんなことから学ぼうとします。自信があるとき、私たちは人の話を聞かないですから。だから、何か壁にぶつかって、どうしたらいいんだろうと悩んだときほど、実は大きく成長するチャンスなんだ、と考えたらどうでしょうか。

対応の仕方を変えるときは、子どもにその理由を説明する

海野  このなかで、不登校関係の本を読んだり、相談機関を利用したことのある方はどれくらいいらっしゃいますか? ちょっと手を挙げてくださいますか。ああ、7〜8割くらいいらっしゃいますね。

 たとえば、本を読むと「こうすると効果がある」と書いてあったり、相談機関でカウンセラーから「こうしてみたらどうですか」とアドバイスされることがあると思います。ところが、それを実際にやってみると、けっこう子どもが不安になることがあるんです。その結果、うまくいかなかったり。

 以前このセミナーで体験談を聞かせてくれた青年の話ですが、お母さんが相談機関に行ったら、そこの相談員の方に「これは母子密着の問題がありますね」「これからはできるだけお子さんと距離をとる練習をしていかないといけません」と言われて、お母さんはその日からその子とできるだけ関わらないようにしたそうです。口もきかない、物理的にも距離をとるという具合で、当時、中1だったその子はものすごく不安になったと言っていました。今まで普通に口をきいてくれていたお母さんが急によそよそしくなったわけですから。それで、あとで話を聞いたら相談機関でそうアドバイスされた、と。彼はそれを聞いて「僕に会ったこともないのに、よくそんなこと言うな!」と憤慨したそうです。

 もしみなさんが相談機関に行って何かアドバイスをされたり、今日このセミナーで聞いたことをやってみようかな、対応の仕方を変えてみようかな、と思ったときには、必ずお子さんに理由を説明してください。なぜ自分が対応を変えるのか、お子さんに言ってから変えるといいです。

 たとえば、「お子さんの好みの料理を作ってあげるといいですよ」と言われて、早速、今晩やってみようと思ったら、「今日、昼間行った会でね、子どもが好きな料理を作ってあげたほうがいいって言われちゃったんだけど、何食べたい?」と聞いてみるとか。たとえ自分にとってプラスになるようなことでも、子どもは急に親の対応が変わると「ヘンだな」と思って不安になります。だから、なぜ自分がやり方を変えたかをちゃんと言ってあげる。すると子どもは安心してそれを受けとめられるということを、頭に入れておくといいかなと思います。

相談機関との上手なつきあい方

齊藤  今、相談機関のお話が出てきましたが、相談員の方との関係性とかつきあい方に戸惑う親御さんもいらっしゃると思います。たとえば、言われたことに納得がいかなかったり、言ってることはわかるけどちょっとキャラ的に苦手かも(笑)とか。

 それと、私も相談をお受けしていて、すごく真面目で一生懸命な親御さんだと、アドバイスされたことができなかったり、やったけどうまくいかなかったというときに、それをこちらに言いづらいというようなことも出てきます。
 そのへんのアドバイスの受けとめ方とか親御さんなりのやり方については、どんなふうに考えたらよいでしょう。
海野  親御さんと相談員の関係性とか、相談員のパーソナリティや考え方にもよるので一概にはいえないのですが、必要があってそこに行っているのは親御さんなんですから、本当は、親御さんのほうが相談員に注文をつけるくらいの関係になったほうが、私はいいと思っています。

 医者との関係と似ていて、なかなか注文はつけにくいと思いますが、たとえば、相談員に「こんなことをしてみたらどうですか」と言われたとき、「いやあ、これまでのことを思うと私にはそれはできないです」と言ってみる。それができれば、それに越したことはありません。それで相談員がむっとするようであれば、ちょっとこの相談員はどんなもんかな、と思ったほうがいいです。

 相談というのは、基本的に相談に来た方が困っていることについて実生活のなかで力になれるようなことを一緒に考えるというものですから、相談員の言う通りにしなきゃいけないなんてことは全然ないんです。そういう気持ちで相談機関を活用されたらいいんじゃないかと思います。

子どもと距離をとってみる

齊藤  親御さんがいろいろ迷ったり悩んだりするなかで、本を読んだり、相談機関に行ったりというお話がありましたが、ひとつの方法として、お子さんと距離をとってみるというのは、ありですか?
海野  専業主婦のお母さんなどは、ずーっとお子さんと一緒に家にいるのでより濃密に出てくると思いますが、「もう、この子の顔も見たくない」「この子と同じ空気を吸いたくない」と思うくらい煮詰まってしまうことがきっとあると思うんです。お母さんお父さんの精神衛生が悪くなっている状態というのは、子どもにとっても決してプラスじゃないんです。

 だから、お子さんと距離を置くことで、ちょっと自分を取り戻すような時間をもつことは、実は非常に大事なことです。一見、逃げているような感じに聞こえてしまうかもしれませんが、「一時退避」して自分のエネルギーを補給するというようなイメージで考えてください。心身をリフレッシュしたり、自分がやりたかったことや、やると元気になるようなことをやってから、また家に戻ってくると、いつもの暗く沈んでつらそうなお母さんから、明るく元気でちょっとパワーアップしたお母さんになっている。そういうお母さんがいてくれることが、子どもにも力になるということは当然あります。

「この子のために仕事を辞める」のは最後の選択肢

海野  というような話をよく専業主婦のお母さんにするんですが、その一方で、これまでフルタイムで働いてきたお母さんが、学校の先生などから「親の愛情が足りないんじゃないですか」「今、お母さんを必要としているんですよ」みたいなことを言われて、「ああ、仕事を辞めたほうがいいのかな」「もっと子どもと一緒の時間を増やさないといけない」と悩む場合もあります。

 それぞれのご家庭の状況にもよりますが、結論をひと言でいえば、「変化はなるべく小さいほうがいい」。たとえば、フルタイムで働いているとしたら、退職するのはほんとうに最後の選択肢にしておいて、有給休暇を柔軟に使ったりして今の状態をできるだけ維持しながら、できる対応を考えていく。そのほうが無理がないと私は思っています。

 そこを無理に辞めるとしたら、かなりの覚悟が必要になります。覚悟というのは、辞めたからといって行くようになるわけではないからです。ところが、お母さんは清水の舞台から飛び降りるような気持ちで仕事を辞めて、子どもと一緒に過ごすようになったとき、お母さんのどこか心の片隅に「この子のために自分を犠牲にした」という思いがあったりすると、結果が出てこない場合、それが全部子どもに対する恨みや怒りになって出てきます。「自分がこれだけ犠牲を払っているのに、お前はなんなんだ!」というふうになりますから、決して親子関係にいい影響を与えるわけじゃないんです。

 それでも、たとえば今までの自分の人生にとってフルタイムで働いてきたことにどんな意味があるんだろう、たまたまきっかけは子どもの不登校だったけれど今ここで辞める意味が自分にある、というふうにお母さんのなかで気持ちの折り合いがつくのであれば、そういう選択もありだと思います。

 でも、「この子のために」自分のやりたいことをあきらめるというかたちで辞めるときほど、辞めたから行くようになるとはかぎらないんだ、自分が払った犠牲が無意味な犠牲になってしまったら、あの子と自分との関係は今以上に悪くなってしまう、それでも辞めるのか、という、そのへんの気持ちの整理はしておいたほうがいいのではないかと思います。
齊藤  距離をとることについて罪悪感を感じたり、逃げているんじゃないか、子どもとちゃんと向き合えていないんじゃないかと悩む親御さんもいらっしゃいますが、必要な距離というものもあるのではないかと思いますし、「時間の長さ」ではないというところもあります。少し離れて家に戻ってくると、お子さんに温かくやわらかく関わることができたりもします。

 私が担当したケースでも、パートに出るようになったり、学生時代にやっていたスポーツを再開したり、ジムに通うようになったり、パンづくり教室に通ってパン種を力いっぱい投げてこねながら発散してスッキリした気持ちでまた子どもと向き合えるというお母さんもいらっしゃいました。そうした時間を確保することが、結果的に家族をいい方向に向かわせるということだと思います。
海野  ここでお父さんの例を出すとヤブヘビになるかもしれませんが、お父さんは仕事で家を出られるじゃないですか。で、仕事をしている間は子どものことを忘れていられますよね。何かほかにやることがあると、少なくともその間は子どものことを考えないで済む。それがあるから、なんとかやっていけるという部分があります。ですから、必要な距離のとり方を少し考えてみるといいかなと思います。
 お手元の『参考資料』に、参加者の方々へのアンケート結果をまとめた「わたしのストレス解消法」というのが載っています。それはそれはいろんなストレス解消の仕方がありますので、参考にされたらどうかなと思います。

テーマ⑤
なぜ受容することが大切なのか、
また、受容すると子どもはどう変わるのか

齊藤  それでは最後のテーマ「なぜ、受容することが大切なのか、また、受容することで子どもはどう変わるのか」に入りたいと思います。
海野  「受容」という言葉は日常的になじみのある言葉ではないので、意味がわかりにくいかと思います。もともとはカウンセリングの基本姿勢としての概念で、相談に来た方をありのまま認める、受け入れるという意味ですが、私自身、来談者のどんな相談もありのまま受けとめているかと言われるとはなはだ疑問ですし、ましてや、母子、父子という関係で受容することはどだい無理な話ではないかと思います。

 ですから、たとえば、お母さんお父さんが思うようにならないわが子を「直そう」としない、あるいは、思うようにならない子でもそのまま認めようとする、思うようにならなかった子を許すとか、そういうイメージで受容(受け入れる)ということを考えてみたらどうでしょうか。

「期待枠」からはみ出した子どもをどう向き合うか

海野  私たちは誰でも、相手を「期待枠」で見ようとします。私たちの心のなかにはいろいろな枠があって、子どもとの関係では「こういう子であってほしい」「こういう子になってほしい」「こういうことを大事にする子になってほしい」、あるいは単純に「こういう子が好みだから、そうなってほしい」という枠もあるでしょう。

 子どもがある程度この枠のなかにいる間はなんの心配もしない。ところが、この枠からはみ出すようなことが起こると、「なんとかこの枠のなかに戻さなければ」と、叱ったり、とがめたり、責めたり、お説教をしたりして、どうにか枠のなかに入れようとするわけです。すると逆に、ますます子どもは枠の外に出て行き、親御さんとの関係はますますかたくなになっていく、ということがあります。

こうした状況になったとき、どうしたら子どもを受容できると思いますか。  ひとつは、子どもの価値観を認めるかたちで、お母さんお父さんの枠を広げてみるということ。ただ、これは親御さんが35歳くらいまでなら対応できると思いますが、40歳以上になって無理に枠を広げようとすると枠自体がバラバラになってしまう危険性が高い。それよりも自分の枠は変えようがないと考えて、その枠に磨きをかけることをおすすめします。

 具体的には、まず「自分はこういうことは嫌いだ」「こうあってほしい」「こういうところが私には大事なの」ということを再確認します。そして、その枠からはみ出している子を見たときに、腹が立ったり、ガッカリしたり、嫌いになったり、顔も見たくないと思うのは、自分のせいではなく、この枠のせいだと思ってください。「私にこういう枠があるから、学校に行ってないあの子を見ると腹が立ったり、嫌になったり、先のことが心配になったりするんだ」と思ってください。

 お母さんお父さんの枠は、何十年もかかって積み上げてきたもので、ご自分を支えてきた大事なものですから、基本的にその枠は変えようと思わなくていいです。でも、その枠にどうしても入らない子がいるときに、それは、枠があるからそう思ってしまうのであって仕方がないことなんだと思ってみたらどうかなと思います。

 そして、今、この子は自分の枠のなかには収まらない状態なんだと思ってみてください。つまり、親御さんとお子さんの間に枠という考え方を介在させることで、子どもに対するいらだちや悲しみや苦しさが少し和らぐような気がします。

 先ほど「許す」という言い方をしましたが、不登校状態になっている子は、実は不登校になる前からつらい思いや嫌な思いをしていることが多いんです。でも、それはお母さんお父さんの枠からはみ出してしまうことだから、その思いを正直に話すと、たぶんお父さんは怒る、お母さんは泣く、だから言えないといった状態が続いていたりします。さらに、不登校になることで、お母さんお父さんの枠からますます外れてしまいますから、なおのことつらい思いは言えません。

 そんなとき、お母さんお父さんが、自分たちの枠の外にいる子だけど「それでもいいよ」「私たちの大事な子だよ」という思いを届けてあげられたら、と思います。それがその子にとって、自分が許される体験になるのかなという気がします。

自分のつらさを受け入れてもらってはじめて、子どものつらさを受け入れられる

海野  親御さんがそう思えるようになるためには、親御さん自身もつらい思いをしてきたことを受け入れてもらう必要があります。お母さんお父さんがつらい状態であることを誰からも受け入れてもらえない状況では、子どもを受け入れろということ自体が無理なんです。

 相談に行くということは、お子さんの相談をするだけでなく、お母さんお父さんがそれまでつらい思いをしてきたことを受け入れてもらうという意味もあります。たとえば、子どもを殺してやりたいと思ったこともあるくらいひどい親だったけれど、そんな自分でも認めてもらえて、受けとめてもらって、許してもらえるんだという体験があってはじめて、つらい思いをしている子どもを受け入れて許そうという気持ちになれるんだと思います。

 たとえば、お母さんが相談機関に通うようになって、自分の思いを受けとめてもらい、自分が許されるという体験をすると、不思議なことに子どもとの関係が変わってくることがあります。お子さんとの関係がよくなってくると、お子さんが親御さんに対してとても素直になってきます。

「いいところ」が見つからないときは、「いいところ」をつくる

海野  よくこうしたセミナーなどで「お子さんのいいところを探してみてください」と言われることがあると思いますが、そのとき、「いいところなんかないわ」と思うことはありませんか。そんなときは、「いいところづくり」が大事だと言われています。つまり、「いいところ」がないときは、「いいところ」をつくってやるしかないということです。

 たとえば、お子さんにお手伝いを頼んでやってくれたら、「ありがとう」と言えますよね。ちょっとした家事や買い物などを頼んで、それをやってくれればお礼が言えるし、感謝することもできます。そうした体験も、お子さんにとっては「許されている」「大事にされている」という実感につながります。

 そうした関係を続けていくと、子どもは今まで責められていたために身がまえて、自分を守るために防衛反応として、黙りこくったり、部屋にひきこもったりしていたのが、だんだん心を開いてきます。すると、今までためこんできた不安、怒り、反発などのネガティブな感情が解放されて、わーっと表に出てくることがあります。泣きわめくとか、お母さんにダッコをせがむとか、添い寝を頼んだり、少し甘えたような行動が出てくることもあります。親御さんは、また状態が悪化したんじゃないかと思ったりしますが、それらが落ち着いてくると、お子さんの表情がにこやかになって、親御さんの言うことをよくきいてくれるようになったりします。

なんのために受容するのか

海野  受容という考え方は、学校に行かせるためではありません。学校に行くか行かないかは子ども自身が決めることです。子どもが自分のことを自分自身で選択できるような力をつけていくというのが、受容のイメージです。
 子どもの要求することをすべて聞き入れて、子どもの言う通りにすれば、学校に行くんじゃないかと思って受け入れるのは、受容ではありません。それは、ただの甘やかしにしかなりません。受容というのは、自分たちの枠のなかに入らない子に「それでもいいんだよ」「私たちの大事な子なんだよ」と伝えてあげることです。

 実際は照れくさくて親子の間でそんなことは言えないでしょうし、わざわざ言葉でそれを言う必要はありませんが、たとえば先にお話しした「消極的受容」とは、もうあの子と闘うのはやめよう、淡々と生活していこうと思うことが、子どもからすれば責められなくなったという意味で、お母さんお父さんが自分の存在を認めてくれたというとらえ方になるんです。

 自分が「許されていない」「認めてもらえていない」と思っているとき、子どもはいつまでも安心できないし、つらい状態のままです。結果として、学校という集団生活に戻れない状態を引きずってしまう。お子さんは今、親御さんの枠から外れているだけなんだ、でも私の大事な子どもなんだという目で見てあげると、子どもが自分自身で納得できる人生の選択をする、と考えていただけたらと思います。
齊藤  海野先生から「受容」ということの本質的な意味合いについてお話がありました。本日のテーマ「『行かなくていいよ』という対応が動かすもの」についてですが、よく相談でも聞かれるのは、「行かなくてもいいよ」と言ったほうがいいのか、言わないほうがいいのかということです。そう言ったからうまくいくということでもなく、その言葉にどんな思いが込められているかなんだろうなと思っています。

 今回のセミナーの準備で海野先生と打ち合わせをするなかで、“Doing(行動/やり方)”と“Being(存在/あり方)”という言葉が浮かんできました。今の世の中は“Doing(行動/やり方)”を重視し評価することが多く、“Being(存在/あり方)”を評価されることはほとんどありません。

 でも、不登校の子どもたちのように動けなくなったとき、“Doing(行動/やり方)”の結果が出ないと存在自体が認められないのか、という問題にぶつかります。
 不登校の子どもたちの話を聞いていると、「自分はダメな人間だ」「なんの価値もない」「みんなと同じことができないんだから、いてもしょうがない」といったことを耳にすることが少なくありません。何もできないんだから、自分の存在自体に意味がないと思ってしまうわけです。

 そんなお子さんに対して、親御さんは「学校に行ってほしい」と思いながらも、お子さんの存在を認めてあげる、今そこにいることに対して「そこにいていいんだよ」という気持ちを伝えてあげる。それが伝わると、お子さん自身が自分の“Being(存在/あり方)”を確かめ、誰かに認めてもらうことで、外に向かって動き出す原動力になるのではないかと思いました。
 最後に海野先生に今日のまとめをお願いします。
海野  不登校の子どもたちは、親が望んでいるような自分でいられないことに対して申し訳なさや引け目を感じたり、親から嫌われているんじゃないかという不安のなかで生活しています。そんな子どもたちに対して、たとえお母さんお父さんの枠の外にいても「あなたの親なんだよ」「あなたは私たちの大事な子なんだよ」と関わりつづけることが、子どもにとって最大、最高のサポートになると思います。

 そのサポートをするためには、親御さん自身のつらい思いを誰かに受け入れてもらうことが不可欠です。みなさんにとって、今日のこのセミナーの時間が少しでも「ああ、自分はこれでいいんだ」と思えるような時間になったらいいな、と思います。

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