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登進研バックアップセミナー98・講演内容

「不登校になってよかった」は本当か? Part.2


2016年9月22日に開催された登進研バックアップセミナー98「『不登校になってよかった』は本当か?」の内容をまとめました。

ゲスト:不登校を経験した2人の若者
講 師:海野千細(八王子市教育委員会学校教育部教育支援課相談担当主任)
※ゲストの方々のお名前は仮名、年齢等はセミナー開催時のものです。





     

不登校になる子どもは“心が弱い”のか?

岩川  ちょっと話題が変わりますが、不登校になる子は“心が弱い”とよく言われます。それについて海野先生はどう思われますか?
海野  その言い方って「不登校は、甘えやわがまま、怠けではないのか」という私が最初にした質問と根が同じような気がします。不登校が問題だという図式だけで考えているから、そういう表現になるのかもしれないけど……。
 “心が弱い”ではなくて、心が敏感だとか、繊細だとか、細やかだというような言葉で表現してみると、不登校の子どもたちをもっと多面的に考えられると思いますよ。不登校自体は、いい悪いの問題じゃないですからね。
畑中  私が入学した通信制高校には、不登校を経験した生徒が多数在籍していましたが、そこで感じたのは“心が弱い”というより優しい子が多いということでした。他人のことなのに、つらい時は一緒に泣いてくれたり……。優しいからこそ、友だちとか親、先生、まわりの人たちのことを考えすぎて疲れてしまい、不登校になるという感じじゃないかと思います。
海野  心が繊細で感受性が豊かでまわりの様子がよくわかっちゃうだけに、いろんな人の心の動きを感じてしまうことが、結果的に不登校というかたちにつながってしまうのかもしれません。だから、“心が弱い”という言葉で表現するのは一面的だし、いろいろな誤解を生やみすいんじゃないかと思います。

     

なぜ再び学校に行けるようになったのか?

海野  次に、おそらく会場のみなさんがもっとも知りたいことのひとつだと思いますが、なぜ再び学校に行けるようになったのか。はっきりした立ち直りのきっかけのようなものがあれば、それも含めて教えてください。
畑中  つらい状況の時、ドッグトレーナーなど動物にかかわる仕事に興味があったので犬を飼いたいと思い、ペットショップで買うと高いので捨てられた犬の里親として佐賀県から6歳のポメラニアンを譲り受けたんです。それで、犬の散歩で外出するようになり、ほかの犬を散歩させている人と話をするようになりました。犬を飼ったことは、人とのかかわりという意味ではリハビリになったと思いますが、やはり私にとっていちばん立ち直りのきっかけになったのはダンスだと思います。
 もともと安室奈美恵が好きでダンスへの憧れはあったのですが、ふとした時にダンスをやってみたいなあと思い、母に伝えたところ、いろいろパソコンで調べて「こういうスタジオがあるよ」と教えてくれたり、どうしていいのかわからずとまどっている私の背中を押してくれました。
 中学卒業後の進路探しでも私はほとんど動けず、どこでもいいから早く決まればいいという気持ちでしたが、私が通っていた療育機関(発達障害の子どもたちの学習面・生活面を支援する機関)の先生が教えてくれた情報をもとに、母がネットで調べて、都立のチャレンジスクールと通信制高校の文化祭と学校見学に行きました。それぞれの学校で面談をしたんですが、通信制高校の時は、学習面をフォローしてくれるという安心感だけでなく、「小さな成功体験を積み重ねることで、失敗体験をくり返してきた生徒に自信と意欲をつけさせてあげたい」という先生の説明に、親子で納得できるものがありました。その通信制高校にダンス部があったことも私の気持ちを後押ししてくれました。
 動き出すきっかけにもなり、進路先として決定的になったのは、その高校の文化祭でダンス部の発表を見た時、舞台でかっこよく踊っている人たち全員がもともとは初心者だったと聞いて、私にもできるかなと思えたことです。そして、見ている自分も元気になれたので、今度は私も、自分のダンスをひとりでも多くの人たちに見てもらって笑顔になってもらえたらと思い、その高校に入学してダンス部に入ろうと決心しました。言葉ではなく体できれいなものを追求するなかで、自分らしさを表現できることにも惹かれました。
 入学してから出会ったダンス部の顧問の先生の影響も大きいと思います。私の父は話もしたくない存在でしたが、顧問の先生は本当の父親のようで、母親に相談できないことも相談できました。先生とのかかわりのなかで成長できたことが多く、ダンス部での3年間で得たものが現在につながっていると思っています。
海野  ダンスをやってみたいという畑中さん自身の興味や関心が立ち直りを支える原動力になっていた感じですね。岩川くんはいかがですか?
岩川  私立中学校の高等部への内部進学ができないとわかってから、就職する、一般受験で高校に入る、定時制・通信制やサポート校を探すなどの選択肢を考えましたが、まず就職は無理だと思いました。父からは「1年浪人してもいいから普通高校に行け」ときつく言われましたが、学校自体が嫌になっていたから一般受験もしたくないと母に相談して、居場所として、どこかの高校に所属したかったのでサポート校を探しました。
 そのひとつに母がネットで調べてくれた学校があり、自分ひとりで校長先生と面談して、学校案内をもらってどんな学校か確認してから、そこに行くと決めました。そのサポート校はその後通信制高校になったのですが、家でひとりで勉強してレポートを提出し、月1回程度スクーリングに行くというタイプの通信制高校ではなく、通学型の学校でした。しかも行きたい時に行けばいいという自主的なシステムが魅力的に思えて、そこが決め手になりました。自宅からは遠かったのですが、父のいる家から離れたかったし、できるだけ家にいない時間をつくろうと思い、通学時間も長いほうがいいと思ったんです。
 とはいえ、入学してからもしばらくは登校できなかったのですが、学校って楽しいなと思えるようになって、登校するようになったのは友だちとの出会いがあったからです。この学校には不登校などでつらい思いをしたり、いろんな経験をした人が入学してくるので、他人の心の痛みや気持ちがわかる人が多く、先ほど畑中さんが言われた「優しい子が多い」ことにつながると思います。
 そのうち親しい友だちが何人かできて、自分は小学校から野球をやっていたので野球部に誘ってくれたり、転校してきてギターをやっている人が「一緒にバンドやろうよ」と言ってくれたり、気軽に声をかけてくれる人がいることがとてもうれしかった。そこで、「もう一度、野球をやりたい。ギターを買って軽音楽部に入ってバンドをやってみたい」と家族に話をすると、母や祖母が「いいよ、やってごらん」と背中を押してくれたのもうれしかった。
 野球やバンドを始めて、活動の場がだんだん学校に移ってきたところで、学校に行くきっかけが生まれ、授業にも出るようになり、先生とも知り合えるようになりました。自分がやりたいことをやらせてもらえた、友だちから必要とされたということが動き出す大きな要因になったと思っています。
海野  畑中さんの場合、犬を育てることを通してマイナスの状態からゼロに戻すプロセスがあって、ゼロからプラスになっていく過程で、ダンスを通して通信高校という現実的な集団との出会いにつながっていく。岩川くんの場合は、進学した学校での友人との出会いから生まれた野球やバンドへの興味をお母さんやお祖母ちゃんが認めて支えてくれるという流れが鮮明に見えるエピソードだと思いました。そこで反対されたり、つぶされたりしたら、またマイナスに逆戻りしてしまっただろうし……。
岩川  父は「おまえは不登校なんだから野球やバンドをやる余裕なんかないでしょ」という言い方をするんですよ。こういう対応は、せっかく立ち直ろうとしている気持ちをへこませるだけですからやめてほしいと思います。
海野  そりゃそうだよね。よく今までしのいできたよね。ただ、もしかしたらお父さんがそういう言い方をしたのは、このままでは先々困るぞという心配があったからじゃないかという気もするんだけど……。会場のみなさんのなかにも、このお父さんと同じ思いを抱いている方が多いのではないかと思います。

     

再び学校に行けるようになってから、
不登校だったことで苦労したことや大変だったことはある?

海野  学校に行けるようになってから、不登校だったことで苦労したことや大変だったことはありませんでしたか?
畑中  私の場合は学習障害もあるので、不登校だったからというわけではないのかもしれないけど勉強が大変で、今でも苦労しています。高校では3人の仲よしグループで行動していましたが、ほかの2人は普通高校からの転校組だったので、普通高校レベルかそれ以上の学力がありました。だから勉強のことになると私ひとりだけがわからないということが多く、ちょっと取り残される感じがしてつらかったです。でも、少人数のクラス編成だったので個別指導的な感じで授業を受けられたし、わからないところは遠慮なく先生に質問できる環境だったので安心でした。授業の時以外でも、わからないところはいつでも教えてくれました。
海野  学習障害に加えて不登校ということもあって、やはり勉強についていくのが大変だったんだね。畑中さんが通っていた通信制高校ではサポート体制がしっかりしていたから乗り越えていけたということでしょうか。岩川くんはどうですか?
岩川  小中学校では人間関係でいろいろ悩み、本当に親しい友だち関係はつくれませんでした。高校ではいろんな人が仲よくしてくれて、気をつかって接してくれるのでうれしかったけど、一方で、そうした人間関係をつくったことがないので、どう接したらいいのか距離感がわからなくて悩みました。
 たとえば、サポート校に入ってもまだ不登校ぎみでつらい思いをしている人や家からなかなか出られない人がいるわけです。そうした友だちに対して、自分もかつて同じような思いをしたから親近感をもって、学校で会えなくてもメールなどで連絡をとったりしましたが、その友だちに感情移入して、距離感がわからないまま友だちの土俵に踏み込んでしまったり、よけいなおせっかいをしてトラブったことがありました。その時は、友だちとの距離のとり方って難しいなと悩みました。ただ、ずっと学校に来れなくて、卒業式も出ないと言っていた友だちに自分が一本電話をかけたら卒業式に出てくれたこともあって、とてもうれしかったけど、そこに行き着くまではとても苦労しました。
海野  今、岩川くんが話してくれた人間関係とか人との距離の取り方という面では、畑中さんはそんなに苦労はしませんでしたか?
畑中  たとえば、友だちがしばらく学校に来ないことがあっても、それは自分で考えている時間だからということで、一応連絡はするけど、また学校に来た時に話そうねという感じでした。
 人間関係ということでは、やはり部員として一緒にいる時間が長いダンス部で学んだことが大きいです。私は感情をため込むタイプで、思っていることをストレートに言えなかったりします。一方、ダンス部の同級生は真逆で思ったことをポーンと言ったりするのでぶつかったりもするけど、お互いの性格の違いに学んだりしました。部活に出て来られない後輩への接し方でも、来られない人にはそれなりの理由があるんだろうから見守ってあげて、相談や話しかけてきたら聞いてあげようと話し合ったり、人との接し方を学びました。顧問の先生が何かあれば話を聞いてくれたので、ひとりで悩まないで人に話す、相談するという習慣が身についたこともよかったのかもしれません。
海野  勉強と人間関係という2つの問題については、会場のお母さんお父さんも非常に気にされていると思います。
 まず勉強に関しては、小中学校の基礎的な学習段階で不登校になっているお子さんの親御さんは、今、勉強をしなくていいのかという思いが強いでしょう。一方、人間関係については、社会に出たあとにうまく他人とやっていけるのだろうかという不安につながっていくと思います。
 先ほどの2人の話にもありましたが、結論から先に言うと、「勉強も人間関係も本人の興味や関心、あるいは必要性からすべてが始まる」ということです。つまり、その子の興味・関心に沿っていくことと、必要性が出てきた時に応援することがひとつのポイントになると思ってください。
 もう10年以上も前の話ですが、当時、中学1年生だったかな、あるお子さんが家でテレビを見ていて、「お母さん、あの字なんて読むの?」と聞くので、見てみたら、「青」という字だったというんですね。お母さんは、中学生で「青」が読めないんだと思ったらすごいショックだったと言っておられました。この子は、小学校1年から不登校だったので、学校で授業を受けたことがほとんどないんですが、お母さんもさすがに青ざめたようです。
 この子がどうしたかというと、ゲームが好きだったので攻略本の内容をゲームで試しながら、少しずつ字を当てずっぽうで覚えていったとのことでした。別のお子さんからも、高校生になって携帯でメールを打つようになり、変換ミスをしないように注意することで漢字を身につけていったという話を聞いたことがあります。今は個人塾もあるし、経済的な事情が許せば家庭教師を雇うこともできる。もちろん適応指導教室やフリースクール、通信制高校、サポート校なども整ってきています。学びたいという気持ちさえあれば、学ぶ方法や学べる場は実はたくさんあるということです。
 人間関係という点では、先ほどの畑中さんや岩川くんの体験は、まさに絵に描いたような展開です。動物にかかわる仕事に興味があったので、犬を飼ってみた。その犬を育てていくなかで外に出られるようになり、犬の散歩から“犬友”ができる。そして、安室奈美恵が好きでダンスへの憧れが、スタジオを探すことになり、通信制高校につながっていく。自分の興味・関心から、人とのつながりも広がっていくということですね。岩川くんも、好きな野球のことから野球部や軽音楽部に誘われたり、そこから授業に出たり、先生と知り合えるようになった。つまり、自分の興味・関心と共通する友だち、それを受けとめてくれるまわりの大人との関係が広がっていくわけです。
 人間関係が広がったり深まったりすればトラブルも生まれますが、岩川くんも畑中さんもそういう人間関係のトラブルを通して、人との距離の取り方や接し方を学んでいった。つまり、そういうことなんだろうと思います。
 「勉強をさせよう」「人間関係をつくらせよう」として働きかけるより、お2人のお母さんのように、本人の興味や関心を受けとめ、望んでいることが実現できるよう手助けをすることが、結果として勉強を身につけたり、人間関係を広げたりすることにつながるのだと考えてみてはいかがでしょうか。

     

不登校のことは隠さないでオープンにしたほうがいいの?

畑中  私は、今の友人や知人には不登校のことは内緒にしているんですが、できれば隠さないでオープンにしたほうがいいのか、それとも、そのままにしたほうがいいのでしょうか?
海野  どっちがいいという問題ではないでしょうね。その時その時の必然性というのがあると思います。たとえば、お母さんにしても、同じクラスの子のお母さんにはできるだけ会わないようにしようと思っている方もいれば、逆に、不登校であることを知ってもらうためにPTA役員になったというお母さんもいます。それは、その人がそれぞれの状況のなかでやれることを考えるしかなく、どちらがいいという問題ではないと思います。
 親子関係でいうと、お母さんが「うちの子は不登校なのよ」と他人に言ってくれてうれしかったという子と、他人に言うから嫌なんだという子がいます。その場合、子どもがそのことをどう感じているかを親御さんは知っておく必要があるでしょう。自分ではカミングアウトできないけど、お母さんが橋渡しをしてくれてありがたかったと感じる場合もあれば、自分が隠しておきたいことをオープンにされて外に出られなくなってしまったと思っている子もいるはずです。それぞれの親子関係のなかで考えていく問題だと思います。
 社会的な側面でいえば、先ほどの話のように不登校はどちらかというと「望ましくない問題」とされているから、他人や友だちの前で不登校だったことを明らかにする場合は準備が必要だろうと思います。それを明らかにすることは自分にとってどういう意味があり、不登校だったことが現在の自分のどういう部分を支えてくれているのかというところまで伝えられればいいけれど、ただの履歴として伝えても、逆にマイナスにとられることのほうが多いと思うので、誰にどういう場面でどのように明らかにするのかは、じっくり考えて伝えたほうがいいかなと思います。

     

不登校になって、本当に「よかった」と思うか?

海野  いよいよ最後の質問になります。今日のメインテーマでもある「『不登校になってよかった』は本当か?」ですが、岩川くん、どうですか。
岩川  このセミナーでこれまで不登校体験を話した人の9割は、不登校を経験してよかったと思っているということですが、自分は正直、不登校になって「よかった」とは思っていません。今日、みなさんの前で自分の不登校経験を話しているわけですが、こうして話せるようになるまでは、つらいことに向き合って、あの時はこんなことを考えていた、こんな思いをしていたと振り返るなかでいろいろな葛藤があったし、かなり時間もかかりました。今でもこうして話しながら当時のことを思い出すのはつらいです。自分がやってきたことなのでどうしようもないですが、できればつらい思いはしたくなかった。
 自分が不登校をしている間に、普通に学校に通っている人たちは一所懸命に勉強したり、部活動をやったりして、ちゃんとした学校生活を送っています。そうした人たちの学校生活と自分の不登校期間中の生活を比べた時に、客観的に見て、不登校を経験して「よかった」とはとても言えない気がします。それは不登校そのものが悪いという意味ではないけど……。3年間、高校生活を頑張った人たちの進路を見ると、不登校を経験した自分たちの進路とは違ったものになっていると思うし、それだけを見ても不登校を経験してよかったという結論にはならない。不登校になったからこんな夢があるとか、不登校を経験したから自分はこれをやっているんだということも否定はしないけど、ただ、それは不登校を経験しなくても到達できることなのではないかと思います。通信制高校での3年間はとても楽しかったけど、できればそこに至るまで、ほかのクラスメートと同じように中学校生活を送りたかった。
 今回、このセミナーで体験談を話してみないか、というお誘いがあった時、「『不登校になってよかった』は本当か?」というテーマにとても興味があった。もっと正直に言うと、「不登校になってよかった、悪かった」という見方そのものに、ちょっとカチンときた。そこで、自分は不登校を経験してよかったとは思っていないけど、ほかの人たちはどうなんだろうと、高校の同級生で不登校を経験した友だち何人かに聞いてみた。すると、「不登校を経験したのは自分の財産で、大事な時間だったと思うし、その経験としっかり向き合っていかなければいけないと思う」「不登校をしたことで同じ経験をした友だちと出会えて、今、こうして生きていることは幸せなことだ」と多くの人たちが言っていました。しかし、不登校を経験したから、今までとは違う考え方ができるようになったという意味ではよかったけど、みんな不登校そのものを「よかったとは言えない」と答えてくれました。
 だからこそ、最終的には不登校を経験した者として、この先、何を考えて、どう生きていったらいいのかという話になるなかで思ったのは、不登校を経験したことを「よかった」「よくなかった」と判断するのではなく、その経験をこれからどう生かしていけばいいのかが大事なんだと思います。
畑中  私は岩川さんと真逆で、不登校になって「よかった」と思っているし、これまで生きてきた18年間にすごく満足しています。
 当時はいいことがまったくなかったのでつらかったし、それは私だけではなく、母親も同じだったと思うけど、今、考えてみると、不登校だったからこそ、人に感謝すること、学んだこと、わかったことがたくさんありました。不登校だったからこそ、あの高校に出会えて、ダンス部にも出会えて、先生や先輩、同期のメンバーや後輩たちにも出会えたと思っています。あの高校に入らなかったら、おそらくダンスも続けていなかったと思います。今、その延長線上でダンスの専門学校で輝いていられるのかなという気がしています。
    小中学校の時は心の底から笑うことはあまりなかったけど、今は笑うことができるし、不登校にならなければ、「元気のない人たちに私のダンスを見てもらって笑顔になってほしい」という私の夢もきっともてなかったと思います。いろいろつらかったけど、いろんな経験をすることができたので、結果的にはよかったかなと思っています。
海野  今回は「『不登校になってよかった』は本当か?」という一見奇をてらったようなテーマでしたが、その本質は、それぞれにとっての不登校経験を振り返り、自分にとってどんな意味があったんだろうかと考えてみることが大切なのでは、ということから設定しています。
 「不登校だったことを正面から受けとめ、その経験を生かしながら今後の自分の生き方を模索している」岩川くん、「不登校があったからこそ今の自分がある、自分には不登校が必要だった」という畑中さん、今日の2人の話は、表現の仕方は違いますが、私は2人が「不登校経験から学んだこと」を率直に伝えてくれたように感じました。このように2人が「不登校である自分」を受け入れられるようになったのは、まず、まわりの人が「不登校の自分」を受け入れてくれたと感じられたからではないでしょうか。
 しかし、わが子が不登校であるという現実を、実際にはなかなか受け入れられるものではありません。それは、まさに親なればこそだと思います。「親である私はなかなか受け入れられない」、それでいいじゃないですか。今は受け入れられない、でも、「もしかしたら不登校という経験がこの子を大きく成長させてくれるのかもしれない」と思い、願うだけで十分だと私は思います。
 それでは、本日それぞれの不登校経験について勇気をもって話してくれた岩川くんと畑中さんに、心からの感謝とエールを込めて大きな拍手を送りたいと思います。ありがとうございました。

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